時は戦国時代。
比叡山延暦寺は宇宙人の基地になっていた。
彼らは一見地球に住む人間と変わらないように見えたため、判別するのが難しく、このままでは、日本が宇宙人によって支配されてしまうのではないかという不安をぬぐい去る事が出来なかった。
それに対抗すべく立ち上がったのが織田信長で、日本を宇宙人の魔の手から守るため、信長は延暦寺を焼き打ちした。
その時、明智光秀が戦利品として持ち帰ったのが、二台の携帯電話だった。
光秀のお手柄に信長はたいそう喜び、近江の領地と携帯一台を与えた。これにより、光秀は織田家の家臣として最初の城持ち大名になる。
これが悲劇のはじまりだった。
信長が光秀に電話をかけて、すぐに自分のもとに駆けつけるように言っても、当時一番早い交通手段は馬しかないので、たどり着くまでどうしても時間がかかってしまう。
短気な信長はそれが許せず、他の家臣よりも光秀に対してきつく当たるようになり、その結果、光秀は謀反を起こし信長は自害して果てることになる。本能寺の変はこうして起きたのだった。
その後、光秀の携帯は豊臣秀吉が入手するのだが、信長の携帯は焼失したと思われていたため、使い道がないと思われていた。ところがある日、秀吉の携帯に着信があって、誰かが携帯を所有していることが判明した。
だが、一体誰が所有しているかわからなかったため、秀吉は太閤検地、刀狩りと称して、日本中を探しまわるものの見つからず、朝鮮に出兵してまで探し求めたが、もう一台の携帯の行方はようとして知れなった。
そして無念のうちに秀吉がこの世を去ると、行方不明だった携帯の所在が判明した。
実は徳川家康が隠し持っていた。家康は本能寺の焼け跡から携帯を見つけたが、そのことを隠し、わざと秀吉に電話をかけてその存在を知らせ、秀吉に探させる事で、無駄に兵力を使わせ、自らが天下を取る機会をうかがっていたのだ。
そして関ヶ原の戦いをへて、二台の携帯電話と、天下を自らの手中におさめた家康は、携帯を誰にも見つからないように、とある場所に隠してしまうのだった。
時代にそぐわない技術の存在はいたずらに混乱をまねく、というのが家康の考えで、結果的にそのことが功を奏し、それまで続いていた戦国時代が終焉を迎え、天下泰平の江戸時代が永きにわたって続く事になった。
鎖国をしたのも、隠した携帯が盗まれて、外国に持ち出されたりするのを防ぐためだったと言われている。
それでは、家康が隠したと言われる携帯はその後どうなったのか?
家康が携帯を隠したという話から尾ひれがついて、金塊や金属貨幣が日本のどこかに埋められているという話になっていき、それが今もなお伝えられている。
……いわゆる「徳川埋蔵金」として。
posted by あまのめぐみ at 22:27| 山形

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